工業化時代と日系企業の誘致

工業化時代と日系企業の誘致

1945年戦争が終わり日本は米国領となり戦後の賠償の支払いに追われ暗黒の時代でありました。

 

また、シンガポールは日本の統治を離れたと思った矢先、またもイギリス軍に支配され植民地としての道を再び進まなければならない状況にありました。しかし以前と違ったのは欧米列強国を打ち倒してきた日本と、その日本にまでも統治下に置かれたという意識です。彼らの中に独立の気持ちが芽生え始め度々独立運動が開始されました。

 

1960年に入りマレーシアの一部となり、その後シンガポール共和国としての独立宣言を行います。当時の首相は初代首相「リー・クアンユー」です。

 

シンガポールの工業化時代の始まりはここからです

 

資源も細く、戦後の人口増を賄うだけの国力がなかったシンガポールはこれまでの貿易型の産業構造の改良に取り掛かります。それが輸出をメインとする工業化です。重化学工業地帯を作り積極的に外資系企業を誘致し始めました。シンガポールには資源は無いと言われていましたが地の利がありました。アジアや中東、ヨーロッパとの交易機能を果たし、輸出によって高度成長を迎えるようになります。住友商事、三井物産もこの重化学工業地帯(ジュロン)に進出してきたと言われています。

 

国内での労働力不足が顕著になり更に外国人労働者の受け入れも積極的になりました。シンガポールでは華人が多く登用され一方でマレー系人種は冷遇されていたと言います。華人は勤勉で蓄財を構築することを良しとし、マレー系はその日ぐらしの好きな人種だと思われていたようです。日本人の場合はその気質や勤勉な姿勢を手本としており日本人から学ぶ事はかなり多かったということです。

 

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